2007年

ーーー10/2ーーー ギルド展中止

 12月に予定されていた安曇野穂高家具ギルドの展示会が中止の運びとなった。毎年その時期に開催してきたもので、今回で7回目となるはずだった。

 中止の理由は、メンバーの足並みが揃わなくなったこと。しかしそれは今に始まったことではない。

 この組織を立ち上げた時、メンバーは7人だった。それが、第一回目の展示会までに一人去った。そして第一回目が終わった直後に、メンバーのうちの二人が諍いを起こし、そのうちの一人が辞めた。三回目の後にまた一人、路線が合わないという理由で去っていった。

 2005年、五回目を計画していた時点で、一人が別の仕事が忙しいという理由で、不参加を表明した。ギルドのメンバーとしては残るが、展示会には参加しないと言うのである。残った三人という人数では、会場の大きさからして少な過ぎる。そこで参加してくれそうな木工家を探したら、うまい具合に一人見つかった。その人をゲストとして頼んで、なんとか開催にこぎつけた。

 翌年も、前回不参加だったメンバーが難色を示した。前回のゲストにも参加を断られ、また三人になってしまった。そこで新たなゲストを探したところ、二人の木工家の参加を取り付けた。展示会は無事終了した。新しい人が加わったせいで、今までに無かった方向性の予感がした。展示会の最後にミーティングを持って、そのゲスト二人に正規のメンバーにならないかと打診したところ、二人とも快諾してくれた。しかし、ひと月も経たないうちに、両者とも断って来た。

 結局メンバー四人が残された。そのうちのくだんの一人は、この展示会に対して否定的である。ともかく今までフル出場だった三人で進めて、新たな参加者を探そうとした。その矢先に、三人のうちの一人が参加したくないと言い出した。これで開催は絶望的となった。会場の予約をキャンセルして、一巻の終わりとなった。

 これまでの六年間、メンバーで十数回のミーティングを重ねて来た。話し合いは、個人木工家の集団としては、まともな雰囲気で進められたと思う。建設的な意見も多く出された。メンバーどうしの理解も行き渡っていると感じた。社会的な活動が苦手な職人世界に於いては、得難い関係だったように思う。過去に私が在籍した別の木工家集団では、無断欠席、言いっ放し、喧嘩、専横など、とてもまともな会合とは言えないようなことが繰り返されていた。

 それでもやはり、一匹狼的なライフスタイルの者が集まって、共同でイベントを開くのは難しい。協力しあう仲間とは言っても、ビジネスとしてはライバルである。表面的には些細な意見の食い違いでも、根は結構深かったりする。展示会での売り上げに差が出て来れば、心情的な軋轢も生じて来る。

 初めてこの展示会を開催したとき、ある木工の先輩から「何も言わずに十年続けろ。そうすれば確実にレベルアップするはずだ」と言われた。六回で挫折したところに、この集団のレベルの限界があったのだろうか。



ーーー10/9ーーー 黒沢映画

 ほとんど毎日、昼食は一人で食べる。家内が昼前にパートへ出るので、私が一人家に残された形になる。たいていは朝の残りの味噌汁と、家内の弁当の余りをおかずに、飯を食う。簡単な昼食である。

 昼食を食べながら、録画しておいたビデオを見たりする。我が家にはかなりの数のビデオがある。ほとんどはテレビで放映した映画を録画したものである。それに少し、ドキュメンタリー番組が混じっている。

 映画一本を昼食時に全部通して見るわけではない。だいたい30分くらいずつに分けてみる。それでも、ほとんどが一度ならず見た映画なので、筋がわからなくなることは無い。簡素な昼食に、何度も見たビデオ。私のささやかな楽しみの時間である。

 このところ黒澤明監督の作品を続けて見ている。繰り返し何度も見た映画ばかりである。場面を見ながら、次の台詞が頭に浮かぶくらい慣れ親しんでいる。それでも、見るたびに面白い。

 モノクロ時代の作品が素晴らしい。椿三十郎、用心棒、隠し砦の三悪人、七人の侍、蜘蛛の巣城、赤ひげ、天国と地獄、羅生門、生きる、といったところが私のお気に入りである。ちょっと台詞が聞きづらいという古臭さもあるが、慣れてしまえばさほど苦にはならない。そんなことは関係ないほど面白い。

 現代では黒澤映画を見る人は少ないのだろうか。もしそうだとしたら、これほど素晴らしい映画の数々が埋もれてしまうのはもったいない気がする。若い人たちにも、どしどし見てもらいたいと思う。

 監督自身が「映画は面白く無くちゃいかん」と言っていたそうである。娯楽性は天下一品だと思う。とにかく面白い。しかし、ここで面白いという意味は、滑稽で笑えるというだけのことではない。シリアスな内容の映画には激しく心を動かされる。思わずホロっと来るシーンもある。それでもやはり、後に残るのは「面白い」という感覚である。

 おそらくサービス精神が旺盛な人物ではなかったかと思う。観客をうならせることなら何でもやる。リアルな表現から外れても気にしない。とにかく、観客に響くことをやる。そのための工夫は惜しまない。そんな監督だったように思う。

 以前メイキングを見ていたら、こんなことがあった。戦場のシーンで、スタッフが赤い絵の具を溶いた水を柄杓で撒いていた。それを見た黒澤監督が「けちけちしないでドバッーと撒け」と言って、柄杓を取り上げて自分で撒き散らした。スタッフが「そんなにたくさん血は出ませんよ」と言ったら、監督は「そんなことはどうでも良い。血が少なかったら残酷な感じが出ないじゃないか」とたしなめた。

 リアリティを重視する映画関係者ならば、異論を唱えるかも知れない。しかし黒澤監督はそんなことより分かり易さ、面白さを取る。そのような割り切りが、氏の映画の根底にあるように思う。しょせん映画は人が作るものである。見て面白くてなんぼのものなのだ。その作り物のツボに嵌められたことを知りつつ、観客は楽しみ、喜び、涙を流す。

 私は映画の製作技法について何の知識も無い素人である。だから、どうしたらこんなに面白い映画が作れるのか、理由が分からない。逆に、何故巷には面白く無い映画が氾濫しているのかとも思う。その違いが、ひとえに監督の力量にかかっているとするならば、黒澤明氏の才能はとてつもなく大きく、計り知れない。

 ところで、椿三十郎のリメイク版が近々出来るそうである。シナリオも黒澤映画と同じものを使うのだとか。プロの方々がやることだから、何かの思惑があるのだろうが、素人の私にしてみれば、よくもまあそんな大それたことをすると思う。



ーーー10/16ーーー 小木工品のジレンマ

 家具を作っている木工家の中には、小さな木工品も作る人が多い。スプーン、ペーパーナイフ、お盆、花立て、キーホルダー、額縁、筆箱などの、ちょっとした生活雑器を作るのである。そういう小物類を作りためて、本業の家具の展示会の片隅に並べて売ったりする。

 木工家具作家の中には、小木工品に手を出してはダメだと言う人もいる。サイズの違うジャンルのものを作ると、本業の作風に悪影響が出るとの意見である。あるいは、小さいものでチョコチョコと金を稼ぐことを覚えると、大きな仕事ができなくなると言うのである。それらの意見も一理あるとは思う。

 確かに一口で木工と言っても、サイズの違いによって材の扱いや加工方法が異なることがある。普段と違う分野に手を出して、勘が狂うということもありえないことではない。また、小木工品で稼ごうとするならば、量産が必要条件となり、ショップに頼んで委託販売をすることが基本となる。それは、エンドユーザーからの注文で生産をする一品ものの家具作りとは、全く異なる世界である。制作の基本的な部分や取り組み方から変えなければならない。

 そんな理由からだろうか、家具作家による小木工品の制作は、余技の領域を出ないことが多い。木工技術としては十分な完成度を持っていたとしても、しょせんは「こんなものも作ってみました」あるいは「こんなものも作れます」といった程度の動機で制作され、売れても売れなくても良いというような位置づけになりがちなのである。

 そういう余技の中に、秀逸な品物が発見される場合もある。肩の力が抜けた、遊び心の感覚が、魅力的なものを作り出すということだろう。しかし、一つ二つ面白いものを作っても、それは作家の作品とは呼べないと思う。気まぐれ、偶然から生まれたモノは、それで終わってしまっては、作家活動の軌跡を形作る作品とはならない。

 かく申す私は、今年になって小木工品に手を染めだした。今までは、ほとんど作ったことが無かったが、ふとした契機から、新しい試みとして挑戦したのである。それも、余技としての制作ではなくて、小木工品だけでもギャラリーに展示できるグレードを追求し、ショップ展開にも応じられるような制作体制を確立することを目標としている。

 とかく難しいと言われる家具と小木工品の両立が、うまく行くかどうか、この秋が一つの正念場となりそうである。



ーーー10/23ーーー 東京への想い

 先週末、一泊二日で東京へ行った。仕事と遊びを兼ねた出張のはずだったが、直前になって仕事のほうの都合が悪くなり、結局息抜き旅行の形となった。のんびりとした気持ちで東京に入った。

 私は東京生まれの東京育ちである。そう威張れるほど都心に住んでいたわけではなかったが、社会人になって千葉県へ出るまで、東京で暮らしていた。千葉に移ってからも、仕事や何やらでしばしば東京に通っていたので、1988年の10月に会社を辞め、翌月長野県へ引っ越すまでは、東京圏で生活していたと言える。

 安曇野に住み着いてからは、めっきり足が遠のいた。東京に住んでいる知人たちは、「ときどきこちらへ出て来るのでしょう?」などと言うが、実はそういう機会はあまり無かった。この20年近くの間で、一つずつ思い出せるほどの回数でしかない。

 久しぶりに東京へ出ると、いささか気が滅入る。信州安曇野は北アルプス山麓の、時間が止まったように静かな場所に住んでいる身である。東京の喧噪とせわしなさは、自律神経に悪い影響を与えるのではないかと不安になるくらいである。

 先年亡くなった父は、東京の下町で生まれ育った人だったが、安曇野に越してからは東京へ出るのを嫌がった。母の用事に付き添って行っても、三日もすれば逃げるようにして戻って来た。「東京の空気を吸うと頭が痛くなる」とよく言っていた。

 ところが母は違う。この9月から都心の神田のマンションで一人暮らしを始めた母だが、まことに生き生きとしている。本人の口からも「東京は落ち着く」という言葉が出る。「やっぱり東京はわたしのふる里なのよ」とも言う。そして、「歳をとると、幼い頃から慣れ親しんだ場所に戻るのがいいわ」とも。

 私はと言えば、たまに東京へ出ると浦島太郎状態に陥る。大都会の変貌ぶりに付いて行けないのである。地下鉄の路線など、迷路のようである。今回も、乗り間違えて別の場所に行ってしまい、慌てて戻ったりした。

 しかし、その変化に戸惑いながらも、東京の現在の姿を毛嫌いせず、受け入れようとする姿勢が、自分の中のどこかにあるように思う。長いブランクはあるものの、もともと最先端都市東京に生まれ育った人間である。こんなことで驚いてたまるかというプライドがある。あるいはやせ我慢かも知れぬ。そのいずれか分からないが、私の中のあるものが、人知れず意味も無く、超高層ビルの下で私に胸を張らせる。

 母が言う通り、やはり名実共に私のふる里は東京なのであろうか。ともあれ、そのようなことを意識し始めたということは、私もそれなりに齢をとったということか。
 


ーーー10/30ーーー 工房公開の準備

 今週の木曜から日曜までの四日間、「安曇野スタイル2007」というイベントの一環で、工房公開を行う予定である。

 この「安曇野スタイル」という名称の活動は、もともと地域活性化を目的に、安曇野に住む工芸作家の合同展示会という形で、2004年にスタートした。それが二年目から工房公開という形に変わった。地域に点在するギャラリーでの展示会もあるが、目玉としては工房を公開して、お客に見てもらおうということである。作家の工房など、普段は敷居が高くて入り難いが、この期間はご自由にどうぞという企画。作家の工房が多数あるこの地域だから、集客効果が高いことは確かだろう。今年このイベントに参加するのは、作家、ギャラリー、飲食店、ペンションなど、合計130件を越える。

 工房公開一回目の2005年は、私の工房には二日間で数人のお客しか来なかった。まあ、そんものだろうと思った。ところが、二回目の昨年は、四日間で100人近くが訪れた。事務所のわきの狭い展示室は、お客でいっぱいになった。とてもゆっくりと対応できる状況ではなかった。

 そこで今年は、事務所のわきの展示室は止めにして、自宅に家具を並べて展示することにした。工房の見学と、自宅での作品展示の二本立てである。今までの経験からいうと、ほとんどの来客は工房への関心が低い。工房の内部はチラっと見るだけで、「作品はどちらにありますか」とくる。今回もおそらくそんな感じになるだろう。ただ、工房と自宅に分かれると、目が行き届かなくなるので、アルバイトを雇って工房での対応を頼む事にした。頼んだのは技術専門校の木工科の生徒だから、ひととおりの説明はできるはずだ。

 見ず知らずの人を自宅に入れることについては、多少の迷いがあった。先年亡くなった父は、信頼できる人以外は自宅に入れるべきでないという考えを持っていた。自宅は城のようなものであり、気安く他人を入れてはいけないというのである。その代わり、いったん招き入れた客人に対しては、精一杯のもてなしをするべきだという意見であった。もし父が生きていたら、自宅を開放しての展示には反対しただろう。

 工芸作家の中には、自宅で作品展示をする人がけっこう多い。その方が良いのだという見解もある。自宅を見せることで、作家の生活感覚を知ってもらい、共感を感じてもらえるというのである。また、家具などの作品は、実際に使われる環境で見てもらう方が、よりインパクトがあるという意見もある。そのようなことを考えてみると、自宅を使っての展示も良さそうだと思うようになった。不特定多数の人が来るのだから、多少のリスクはあるかも知れない。しかし、こちらが腹を見せなければ、相手も乗って来ないというのが、人相手の仕事の基本でもあるだろう。
 
 私の家具を買ってくれたことのあるお客様のうち、安曇野周辺の方には招待状を送った。その人たちが入れ替わり訪ねて来てくれたら、場の雰囲気も盛り上がるだろう。取らぬタヌキではないが、初めてのこの試みが、いろんな方のお力添えで、上手く行くことを願っている。


 
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